聖霊による刷新(カリスマ刷新)とは?

1 日本におけるカトリック聖霊による刷新の歴史

教会に新しい聖霊降臨を祈り求めて開催された第二バチカン公会議(1962年10月11日〜1965年12月8日)から1年余の1967年2月17日、米国で30名足らずの大学生が聖霊の力強い御業を体験しました。「カトリック・カリスマ刷新(Catholic Charismatic Renewal)」と呼ばれるようになったこの恵みの潮流は数年で世界中に広がり、日本には1972年に「祈りの集い」として東京教区の初台教会を中心とする信徒たちのもとにもたらされました。

1973年に第1回カリスマ刷新・聖霊生活セミナーが東京で開かれ、翌1974年には関西でも開催されました。各地に祈りの集いが誕生する中、1975年に第1回全国大会が開催され、カリスマ刷新の流れは全国にますます広がりました。そして、各地の祈りの集いが交わりを深める中で、それぞれの地区が形成され、地区ごとの大会も開催されるようになりました。

1981年にローマで開催された国際リーダー研修会を契機として、日本でもカトリック・カリスマ刷新全国委員会が生まれ、広くその共通課題を協議する場となりました。1983年には全国奉仕会議が国内各地区からの参加によって設けられ、規約も定められました。1986年、日本における名称は、「カトリック・カリスマ刷新」から「カトリック聖霊による刷新」へと変更されました。

この50年余の恵みの潮流から二つの奉仕機関が生まれました。祈りの集いを主な対象とするICCRS(国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会)と契約共同体を主な対象とするCFCCCF(カトリック・カリスマ契約共同体友愛会、略称C F)です。2019年の聖霊降臨の主日、この二つを統合した新たな奉仕機関が正式に発足しました。それが、カリス(CHARIS, Catholic Charismatic Renewal International Service)です。

カリスは、教会と全世界に新しい聖霊降臨を熱望する教皇フランシスコの招きに答えて誕生しました。「カリスマ刷新の家族全員がコムニオ(一致と交わり)の中で聖霊の力強い臨在が教会全体の益のために現れる」よう奉仕するのがカリスの使命です。教皇フランシスコは以下の三つを愛の証し人として行い、世界に福音をもたらしなさい、とカリスマ刷新とカリスを励ましておられます。

1 聖霊による洗礼を教会の全ての人と分かち合うこと。
2 キリストの体である全教会の一致に仕えること。
3 貧しい人々や霊的にも肉体的にも助けを最も必要としている人々に仕えること。

そのためカリスは公的な法人格を与えられ、教皇庁の「信徒・家庭・いのちの部署」と密接に結びついており、その誕生と同時にカリスの規約が2019年6月9日に施行されました。これを受けて、日本では2020年2月22日に聖霊による刷新全国委員会と全国奉仕会議が廃止され、全国コムニオ奉仕会が設置されました。

 

2 聖霊による刷新の歴史的展開

故ピ-ター・ホッケン神父はその著書『栄光と恥』(THE GLORY AND THE SHAME 1994年発行) の中でカリスマ的刷新(聖霊による刷新)についてユニークな歴史的考察をしておられますので、その概略を翻訳の上ご紹介します。

20世紀に入ってから、聖霊の恵みによる大きな出来事が4回ありました。その一つひとつを順を追って説明してみましょう。

1 ペンテコステ運動
1906年にロサンゼルスの貧しい地域(アズサ通り)の納屋の中で、様々な人種が共に集まり、黒人の牧師の指導のもと集会を行なったのですが、そこで異言、預言、癒しなどの現象が起こりました。これ以前にもそのような現象が起こったことはあるのですが、世界に与えた衝撃度を考えると、このアズサ通りでのリバイバルがペンテコステ運動の始まりとなったと言えます。
当時の諸教会はこのような現象を受け入れる準備ができていませんでした。この集団と無関係でもなかったホーリネス教会の中には、この現象を上からではなく下からのもの、悪魔的であると決めつける人々もいました。一般的には、まじめなクリスチャンにとって価値のない現象でしかないと片付けられてしまいました。結局、この聖霊の恵みは、従来の教会の枠組みの外でペンテコステ運動として発展していきました。

2 プロテスタント諸教会におけるカリスマ的刷新
1960年から数年間のうちに、メソジスト教会、長老派教会、英国教会、オランダ改革教会等のプロテスタント諸教会にも聖霊の恵みが注がれました。この現象はじわじわと諸教会内に浸透していったので、強い排斥、分裂の危険性を弱めることができました。
この現象はペンテコステ運動の人々にとって意外なことでした。彼らからすれば、これらの教会は死んでおり、蘇生させることは無理なはずでした。ペンテコステ運動の人々(狂信的、無教育、感情的で、聖書を文字通り読むと見られていた人々)から肯定的なものを期待していなかったこれらの教会にとってもこの現象は意外なものでした。

3 カトリックにおけるカリスマ的刷新
1967年、デュケイン大学の教授と学生が参加した週末の黙想会で聖霊の恵みが注がれました。この現象は、公的な場で起こったためすぐに知れ渡り、カトリック教会内に急速に拡がる原因となりました。この出来事は、新しいペンテコステを求めて教皇が招集したバチカン公会議の終了後のことでしたので、非常に時宜にかなっていました。もっとも公会議後の焦点は、典礼の改革、聖書研究の刷新、カテキズムの再考、平信徒の参画などに置かれており、聖霊によるカリスマの復興は誰も考えていませんでしたが。
ペンテコステ運動の人々は、プロテスタント諸教会におけるカリスマ的刷新をやっと受け入れることができるようになったばかりだったので、非常にとまどいました。ほとんどの人々は、神がローマカトリック教会を刷新されるはずがないと考え、カトリックのカリスマ刷新の誕生に関わった人々は間もなくカトリック教会を出ることになるだろうと思いましたが、カトリックの当事者たちはだれもその必要性を感じませんでした。

4 メシアニック・ジューの出現
ロマ書11・25~26を根拠に、終わりの時にイスラエルはイエスを救い主として受け入れると、ほとんどの福音伝道者やペンテコステ派の人々は信じていましたが、ユダヤ的キリスト教が起こることは想定していませんでした。むしろ、大勢のユダヤ人が彼らにとっては異教徒の宗教であるキリスト教に改宗するだろうと考えていました。でも、ユダヤ人が離散していた頃は、彼らを迫害してきたクリスチャンの宗教に改宗することは、ユダヤ人社会から離れることを意味していました。その状況が変わったのは、1948年のイスラエル建国、さらには1967年の六日間戦争により、異邦人によるエルサレム占領が終了し(ルカ21・24のイエスの預言参照)、イスラエルが発展し始めてからのことです。
その頃から驚くべきことが起こり始めました。福音伝道というよりも、神からの直接的なカリスマ的恵みにより、イエスを救い主として告白するユダヤ人が出現し始めたのです。彼らは、ユダヤの慣習(祭りなど)を守り、ユダヤ教の様式(音楽や踊りを含む)でイエスを彼らユダヤ人(ジュー)自身の救い主(メシア)として礼拝しています。
エキュメニカルな対話に関わっていた多くのカトリック者や他のクリスチャンたちは旧約の民への伝道を念頭においていませんでした。無関心の結果、今日においても多くのクリスチャンはメシアニック・ジューの存在を無視するか、知らないでいます。

写真は、高間に近い、エルサレム旧市街の英国国教会で異言で賛美をするメシアニック・ジューの人々(2017年3月に撮影) メシアニック・ジューのヘブライ語での賛美(YouTube)

次に、使徒行録に記されている、聖霊による一連の驚くべき出来事を見てみましょう。20世紀のそれと比較する価値があるのです。

1 ペンテコステの出来事
イエスによって事前に語られていたことでしたが、弟子たちの予想、期待をはるかに超える出来事でした。しかしこのときの聖霊の注ぎは、モーセの律法を守るユダヤ人とユダヤ教への改宗者に限定されていました。

2 サマリア人の改宗
ユダヤ人とサマリア人との関係は、エキュメニカル以前のカトリックとプロテスタントとの関係に似ています。互いに忌み嫌っていましたし、交流がありませんでした。イエスの時代、ユダヤ人がサマリア人に福音を伝えること、サマリア人がユダヤ人と同じ恵みを神から受けることなどは想像すらできませんでした。しかし、フィリッポは聖霊の導きに従い、サマリアで伝道しましたし、ペトロとヨハネもサマリアに出向きました(使徒8・14~17参照)。

3 異邦人への聖霊の注ぎ
ペトロが聖霊の導きでコルネリウスの家で福音を告げると、彼ら異邦人の上にも聖霊が降りました。「割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである」(使徒10・45~46)。
使徒たちの神学では、彼らが目にする聖霊の働きを説明することができませんでした。その神学では、イスラエルは選民であり、その民となるには割礼が必要でした。サマリア人は割礼を受けていましたが、異邦人は割礼を受けていませんでしたので、ユダヤ人が異邦人の改宗者と接触することは問題になりました。しかしペトロはヤッファで見た幻により、ユダヤ人と異邦人を区別する律法が終わったことを悟りました。

4 アンティオキアでの人々の改宗
イスラエルの神を受け入れたことのなかった人々が多数、主の助けにより福音を信じて改宗しました。そして、このアンティオキアで弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになりました。このようにしてイエスさまの計画が実現していったのです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1・8)。

1世紀と20世紀における聖霊の一連の驚くべき働きを比較してみてください。類似点がたくさんあるのではないでしょうか。聖霊の満たし(聖霊による洗礼)は、1世紀においては内側(ユダヤ人)から外側(サマリア人、異邦人)へと拡がっていきましたが、20世紀においては既存の教会の外側から内側へ、新しい教会から古い教会へ、そして旧約の民(ユダヤ人)へと浸透していっていますので、順番は逆ですが、聖霊の恵みが注がれるたびに、人々は古い考え方、先入観、偏見、固定的な考えを捨てていかなくてはなりませんでした。そして少しずつ神の計画が明らかにされていったのです。