カリス聖霊降臨前夜祭2021に寄せて ラニエロ・カンタラメッサ枢機卿
ラニエロ・カンタラメッサ枢機卿の動画メッセージ
(英語字幕からの日本語訳)
https://www.youtube.com/watch?v=5E8LoynOrLw&t=5s
親愛なるカトリック聖霊による刷新の兄弟姉妹の皆さん、カリス(CHARIS)が主催するオンライン聖霊降臨前夜祭への参加を皆さんに呼びかけるよう依頼されたので、私は今、心から喜んでそうしています。これは、聖霊による刷新を体験している他のキリスト教会の兄弟姉妹も参加する、真にエキュメニカルな前夜祭となるでしょう。ですからなおのこと、この機会を逃す手はありません。
私たちは毎年、新たな聖霊の注ぎを経験したいという大きな憧れを抱きながら聖霊降臨を待ち望んでいます。聖霊は私たちの人生のエネルギーです。イエスは、弟子たちを残して地上を去る前に、彼らにこう言われました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」携帯電話など仕事道具の電源を入れたときに、バッテリーが切れていることに気づいた経験は誰にでもあるでしょう。全く動かず、お手上げです。このような不便は、霊の領域でも起こります。私たちはバッテリーを再充電する必要があります。接続すべき電源は、恵みの力です。プラグをもう一度コンセントに差し込まなければなりません。これは提案というよりも、私の願いと必要性を皆さんと共有しています。それは、「立ち帰って、子供に戻ること」です!
イエスが使徒たちに語られた言葉を思い出しましょう。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ 18・4)。
カトリック聖霊による刷新に身を置く私たちにとって、子供に戻るとはどのようなことでしょう か? それは、自分が初心者であると認識することです。私たちは、キリストがご自分の教会に願っておられる真の「刷新」とは何かをこれから発見しようとしている初心者なのです。それは、自分自身を聖霊の「プロ」とみなすことをやめ、単純で素直な「修練者」、いや、それ以前の「志願者」になることを意味します。このような人々が、聖霊に「来てください!」と初めてであるかのように頼むことができるのです。
私はいつもパウロの例に感銘を受けます。『フィリピの信徒への手紙』の中で、彼はこう言っています。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、(……)目標を目指してひたすら走ることです」(フィリ3・13〜14)。パウロはどんな過去のことを言っているのでしょうか。ファリサイ派だった頃の過去を言っているのではありません。パウロはそれをすでに「塵あくた」と断言しています。そうではなく、彼が話しているのは使徒としての過去のことです。福音を宣べ伝え、新しい教会を次々と設立していったこと、キリストに仕えた過去のことを言っているのであって、回心する前のことではありません。自分の正義を構築し、権利を主張することの危険性を察知したパウロは、私たちに救済策を示しているのです。
カトリック聖霊による刷新には、あらゆるレベルにおいてこの再出発が極めて必要です。それはまた、キリスト者の一致に向けて前進する最も効果的な方法でもあります。謙遜は、一致への道です。聖霊は、風がそうであるように、空っぽの状態を愛しておられます。聖霊の働きは満たすことだからです。私たちは、子供たちの空っぽの心を再び聖霊に見つけていただくことができるでしょうか。これは私自身の祈りであり、今年の皆さんの祈りでもあるように望んでいます。
この場を借りて、カリスの補佐司祭として支援のお願いです。このパンデミックによる困難な時期に、カトリック聖霊による刷新全体からカリスの国際奉仕へ、祈りと忠実な協力による支援をお願いします。これは、私たちの謙遜と教会への従順を試す場のようなものです。
というのも、ご存知のように、この組織は教皇自身の希望によって教皇自らの主導で生まれたものだからです。それは教皇からの贈り物であり、私たちは教皇フランシスコにいくら感謝しても足りません。
皆さん、聖霊降臨おめでとう!
[日本語訳・小熊晴代]