聖霊刷新50周年記念行事初日の教皇の一般謁見講話(2017/05/31)

バチカンの聖ペトロ広場における聖霊による刷新50周年記念大会にて
2017年5月31日(水)

兄弟、姉妹の皆さん、お早うございます。

聖霊降臨が近づいていますので、キリスト者の希望と聖霊との関係について話さないわけにはいきません。聖霊は私たちを前へと駆り立てる風で、それは私たちが道をはずさないようにし、私たちが巡礼者であり寄留者であることを感じさせ、私たちが腰を落ち着けて「定住民族」となることを許しません。

ヘブライ人への手紙は希望を錨(いかり)に例えています(ヘブライ6:18-19)が、このイメージに帆のイメージを加えることができます。もし錨が、船を安定させ、揺れ動く波の中、船を海上に固定するものであれば、帆は逆に船を水上で動かし前進させるものです。希望は本当に帆のようです。それは聖霊の風を集め、事情に応じ、海へとあるいは岸へと船を押す駆動力に変容させます。

使徒パウロはローマ人への手紙をこの希望で締め括ります。皆さん、いいですか。よく聴いてください。何と美しい願いでしょう。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」(ローマ15:13)。この美しいメッセージの意味についてしばらく考えてみましょう。

「希望の源である神」という表現は、神は私たちの希望の対象である、つまり、いつか永遠の命に入ったときに私たちが辿り着きたいと願う方であるというだけでなく、神は私たちが今、希望を持てるようにしてくださる方、いやむしろ、私たちを希望のうちに喜ぶ者としてくださる(ローマ12:12)方であるということでもあります。つまり、喜びを持つことを希望するだけでなく、今、喜びのうちに希望するということなのです。「いのちがあるところには希望がある」という有名なことわざがありますが、その逆も真です。希望があるところにはいのちがあるのです。人間は生きるためには希望が必要ですし、希望するためには聖霊を必要とします。

すでに聞いたとおり、聖パウロは、聖霊には私たちを「希望に満ちあふれ」させる力があると言っています。希望に満ちあふれるという意味は、決して落胆しないということです。「希望するすべもないときに(ローマ4:18)」なおも望みを抱くという意味です。すなわち、希望する人間的理由が何も見つからないときでさえ希望するということです。独り子イサクを捧げるようにと神に言われたアブラハムのように、もっと極端な例としては、イエスの十字架の下にいた聖母マリアのように。 

聖霊は、私たちが神の子供であり、相続人である(ローマ8:16-17参照)ことを内的に証しすることにより、そのようなときでさえも揺るぎない希望を抱くことを可能にしてくださいます。ご自分の御子さえ惜しまれなかった方が、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか(ローマ8:32参照)。兄弟姉妹の皆さん、「希望は私たちを欺くことがありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。聖霊は私たちのうちにおられ、常に前進するようにと私たちを促されます。だからこそ、希望が私たちを落胆させることはないのです。

聖霊は私たちが希望を抱くことを可能にされるだけではありません。私たちが希望の種を蒔く者であることを可能にしてくださいます。さらに、私たちが、聖霊と同様、聖霊のお蔭で、「パラクレートス」つまり兄弟を慰める者、擁護する者であることをも可能にしてくださいます。福者ニューマン枢機卿は、ある時、信者へのお話の中で、こう言われました。「私たち自身の痛み、私たち自身の悲しみ、いやむしろ、私たち自身の罪に教えられ、私たちは、愛を必要としている人々に向かうあらゆる愛の奉仕のために訓練された心と精神とをぜひとも持たなくてはなりません。私たちは、“全能なるパラクレートス”のイメージにならい、ぜひとも各自がそれなりに慰める者、さらにはその言葉の持つすべての意味どおり、弁護者、助手、心に安らぎを与える側近にならなくてはならないのです。そうなったとき、私たちの言葉と助言、私たちの態度・物腰、声、顔つきは優しく、相手の心を静めるものとなります」(『平明教区説教集』第5巻、1870年ロンドン刊)。この広場にいる私たちそれぞれにとって聖霊が慰め主、保護者となっているように、自分たちにとっての「パレクレートス」つまり慰める者、保護する者となる誰かを必要としているのは、とりわけ、貧しい人々、除外されている人々、愛されていない人々です。私たちは、最も貧しい人々、拒絶された人々、最も助けを必要としている人々、最も苦しんでいる人々のために、聖霊と同様でなくてはなりません。つまり、保護する者、慰める者とならなければならないのです。

聖霊は、人類の心だけでなく、全被造物においても希望を育む方です。聖パウロは次のように言っています(奇妙に聞こえるかもしれませんが本当のことです)。 被造物も自由にされることを「待ち焦がれています」。そして、産みの苦しみのように「うめき、苦しんで」います(ローマ8:21-22参照)。「この世を動かすことのできるエネルギーは、名もなく無目的に働く力ではなく、創造時に“水の面を動いていた神の霊(創1:2)”の動きです」(2009年5月31日ベネディクト16世説教)。これも被造物を敬うよう私たちを促します。画家の描いた絵を損なえば、誰でも必ずその画家を立腹させることになります。

兄弟姉妹の皆さん、教会の誕生日である聖霊降臨祭が近づいています。イエスの母であり私たち自身の母であるマリア様とともに私たちが祈りのうちに一致できますように。そして、聖霊の賜物が私たちを希望で満ち溢れる者としてくださいますように。さらに付け加えます。最も貧しい人々、排斥されている人々、助けを必要としているすべての人々の上に希望を惜しみなく与えることができるよう、聖霊が私たちを助けてくださいますように。

英語原文のリンク先

翻訳:カトリック聖霊による刷新全国委員会

2017年05月31日