『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて-偉大なる改革者の人と思想-』の紹介

オースティン・アイヴァリー著、宮崎修二訳、2016年2月、明石書店発行

(第7章「ガウチョ枢機卿」の438ページから441ページまでの文章を抜粋)

 いわゆる「カリスマ刷新」は1960年代後半にカトリック教会においてカトリック信徒が聖霊による祈りを行ったことに始まり、その後、教会は聖霊において新しい洗礼へと呼び出されているという確信を持つようになった人々の運動である。公式にはカリスマ刷新のカトリック信徒の数は1億2000万人、世界のカトリック人口の20から25%とされている。
 カリスマ刷新運動ではペンテコステ派と似た霊的なスタイルの礼拝を行い、それに秘跡をともなう正統的なカトリック信仰とその実践が組み合わされている。イエズス会の管区長であったときのベルゴリオは当時の他の教会指導者と同じようにこの現象に対処する時間がなく、1970年代には「聖霊に憑かれていると主張している」として批判している。彼も後任の管区長アンドレス・スウィンネンもカリスマ刷新運動をアルゼンチンにもちこんだイエズス会士アルベルト・イバーニェス・パティージャとの接触を禁じていた。しかし、2013年、フランシスコ教皇となった後、リオデジャネイロから戻る飛行機の中で説明したように、以前はカリスマ刷新運動については「神聖な典礼をサンバの学校と混同したもの」と考えていたが、後に「よく知るようになってからは、よいことをしていると思い、それに加わった」のである。
 1999年、ブエノスアイレスで年に一度のカリスマ刷新のカトリック信徒のためのミサを始めたとき、回心が起こった。後にベルゴリオの親しい協力者となったカリスマ刷新運動のブエノスアイレスの指導者のひとりは「彼はあのとき、カリスマ刷新に神聖で深遠なものを見たのです」と振り返る。「彼はそのとき、『祭壇に近づいて賛美を聞いたとき、私は心がいっぱいになるように感じた』と言っていました。深い祈りの人である彼はそれが聖霊であるとわかったのです」。聖体とカリスを掲げたとき、15秒間、異言を語ることを許可するかと尋ねられた彼はそれに同意した。
 2000年以来、ベルゴリオはカトリックのカリスマ刷新運動の毎年の養成学校で講話をするようになった。そこで彼は教会の刷新について考えを発展させていった。一般信徒は福音を説くことを責務と自認する必要があり、教会は町に出なければならない、うちに留まっているより、外に出て、傷つき、泥にまみれた方がよいといった考えである。「フランシスコ教皇が今、言っていることはすべて、カリスマ刷新の講話で話されていたこと」とその協力者は言う。
 ブエノスアイレスの福音派牧師ホルヘ・イミティアンとカトリックのカリスマ刷新の指導者マッテオ・カリシの間にイタリアで生まれた友情関係から、ユニークな教会一致の運動が四人の福音派の牧師と四人のカトリックの一般信徒によってアルゼンチンで始まった。「聖霊において刷新された福音主義とカトリック信徒の交流」(CRECES)と名づけられたその運動は、2003年に祈りと賛美を行う集会として始まり、聖霊の新しい発露の講話の中、急速に拡大していった。ベルゴリオ枢機卿は2004年と2005年に、その集会に控えめに、深く関わることなく出席した(「他の人たちと一緒にそこにいるだけにする」と主催者に語っている)。しかし、カトリック信徒と福音主義者の間にマテ茶の魔法瓶とヒョウタンをもって座り、聖霊を求める様子、純度が高い「賛美」の音楽、異言で歌うときの最初の動き、人々が互いについて、聖霊がもつ治療力を信じて祈る様子を観察した。
2006年6月、CRECESがローマ教皇の公式説教師で、カリスマ刷新の修道士であるラニエロ・カンタラメッサをブレノスアイレスで説教をするために招待したとき、ベルゴリオは7000人を収容できるルナ・パーク・スタジアムを手配した。驚いたことに、その日、会場を満員にした聴衆は福音主義者よりカトリック信徒の方が多かった。この規模での教会一致の集会は世界初であった。
 賛美を先導したのは福音派のメキシコ人音楽家マルコス・ウィットであった。そして、カンタラメッサとともに、イミティアンを含む4人のCRECESの牧師がそこにいた。枢機卿はいつものように朝を過ごし、他の人々と一緒に席についた。ある時点で、ウィット牧師が誰でもそばにいる人の手をとって、その人のために祈るよう人々に呼びかけた。ベルゴリオは写真家エンリケ・カンガスに手を取られ、42歳の福音派の男性の猛烈な祈りにとらわれた。枢機卿の頭はその男の肩にもたれ掛かっていた。その男性エドガルド・ブレソベックは後に、その人が誰であるかを知らなかったと言い、後ろの人に言われて、その司祭がブエノスアイレス大司教であったと知ったのだと語った。
 午後、話をするよう招かれると、ベルゴリオはまず説教師たちに自分のために祈ってほしいと頼み、頭を垂れると、説教師たちは彼の頭に手を置いた。牧師の祈りはカリスマ運動のスタイルで、長く、饒舌で、切迫したものであった。アルゼンチンで預言者的な声を育ててくれたことを神に感謝し、枢機卿が知恵と指導力の賜物をもって祝福されるようにと求めた。
「主よ、キリストの兄弟として、相違や障壁なしに、私たちは彼をナザレのイエスの名において祝福し、あなたの僕に及ぼされている悪の力すべてが無効とされるようお願いいたします」
 ノルベルト・サラッコ牧師がそう唱えると、スタジアムに万雷の拍手が起こり、牧師の祈りは最高潮に達して終わった。
「主よ、あなたの聖霊と力で彼を満たしてください。イエスの名において」
 ベルゴリオはマイクをとると、それまでの自分を捨てることなく、ともに共通の道を歩くことができる「和解を経た多様性」の美しさについて語り、続いて、風と抱擁と傷という三つのテーマをめぐる説教をした。しかし、その説教に現れた情熱、切迫感、明瞭さ、力強さは今までに見られない熱をもっていたことは、いつもの彼を知る者には特に驚くべきことであった。さらには広げた腕を振り、よく知られた復興(リヴァイヴァル)運動のスタイルで手を天に向けて突き上げた。
 枢機卿は燃えていた。
「あれが転換点でした」
 イミティアン牧師の娘で、ベルゴリオの伝記を書いたジャーナリストのエバンヘリーナ・イミティアンは言う。
「あれから前よりもかなり自由に感じるようになったんです。重要だったのは枢機卿が聖霊に対して開かれていたことです。あのお歳で新しい経験に身を委ねていたんです」
 その後、ベルゴリオはCRECESの会合にはただ出席するだけではなく、舞台に上がり、その日一日を祈りと賛美で過ごした。12年の間、枢機卿を追いかけたフリーの写真家エンリケ・カンガスは「私が撮った彼の最高の笑顔は、ほとんど唯一の笑顔ですが、CRECESで撮ったものです」と述べている。

注:教皇フランシスコの本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ

『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて-偉大なる改革者の人と思想-』(オースティン・アイヴァリー著、宮崎修二訳、2016年2月、明石書店発行)は教皇フランシスコの傑作評伝(値段:2800円+税、総ページ数:627)。

2020年02月19日