イタリアの聖霊刷新全国大会の教皇メッセージ(2014/06/01)

ローマのオリンピック・スタジアムにて
2014年6月1日

(以下抄訳)なお、大会には5万名のイタリア人のほか全世界61か国からおよそ2千人の人々が参加した。

親愛なる兄弟姉妹の皆様!
 皆さんの歓迎に感謝します。誰かが本日の主催者に、「主イエスは生きている」という賛歌を私が実際に好きだと告げたに相違ありませんね。ブレノス・アイレスの大聖堂でカリスマ刷新の方々とミサ聖祭を行う時、聖変化と異言による礼拝のあと、私たちは、今日の皆さんと同じように、大いなる喜びと熱情をこめてこの賛歌をよく歌ったものでした。
 皆さんと共に過ごすこの機会を設定された(イタリアの)聖霊による刷新とICCRSとカトリック親交会に感謝いたします。このような機会は私にとって大いなる喜びの源泉であります。聖霊の力の強烈な体験をされた、刷新の最初期のメンバーの方々がここに臨席されていることを嬉しく思います。パティもここにおられると思います。・・・あなたがた聖霊刷新の皆さんは、主から偉大な賜物を受け取られました。皆さんの運動の誕生は、「教会の中の、教会のための恵みの潮流」となるように聖霊によって望まれました。恵みの潮流であること、これがあなたがたのアイデンティティーです。
◆聖霊のまさに第一の賜物とは何でしょうか。それは聖霊ご自身という賜物です。聖霊は愛であり、私たちをイエスとの愛に陥らせます。そしてこの愛が私たちの生活を変えるのです。だから、私たちは「霊によって再び生まれる」と言います。それが、イエスがニコデモに告げたことなのです。あなたがたはカリスマの多様性という偉大な賜物を受け取りましたが、この多様性は聖霊のうちで、教会への奉仕において調和したものとなるのです。
 カリスマ的な方々について考えるとき、私は教会そのものについて、ただし、特別な仕方で考えます。つまり、すべての楽器と歌声が互いに異なっていますが、すべてのものが音楽の調和を創造するために必要とされている大きなオーケストラについて考えます。聖パウロはこのことをコリントの信徒への第一の手紙の12章で述べています。オーケストラにおけると同じように、刷新の中のひとは誰も、自分自身について他の人々よりも大切だとか偉大であるとは考えることはできません。なぜなら、自分自身をひとよりも大切だとか偉大だと考えるときには、災いがすでに起こりかかっているからです。誰も「私が頭だ」と言うことはできません。教会のように、あなたがたには、一つの頭、一人の主、主イエスがあるだけです。誰が刷新のかしらですか。[会衆の声]主イエスです! そして私たちはこれを、聖霊によって私たちに与えられた力を込めて言うことができます。誰も、聖霊なくして「イエスは主である」と言うことができないからです。
◆ご存じかもしれませんが―というのはニュースが出回っているからですが―ブエノス・アイレスのカリスマ刷新の初めの頃には、私はカリスマ的な人々があまり好きではありませんでした。私はよく、「彼らは私には、ある種のサンバの流派のようなものだ」と考えていました。私は、彼らの祈り方や、教会の中に起こっている多くの新しいものを共有していませんでした。あとで、それらを知るようになって、終には、カリスマ刷新が教会のためにしていた全ての良いことに気付きました。そして、「サンバの流派」から始まったこの話には、予想外の結末がありました。すなわち、あのコンクラーベに入る数か月前に、私は司教会議によって、アルゼンチンにおけるカリスマ刷新のための霊的補佐役に任命されたのです。
◆カリスマ刷新は、聖霊の喜びによる福音の説教に仕えるように意図された偉大な勢力です。あなたがたは聖霊を受けましたが、その聖霊はあなたがたが、ご自分のすべての子らにたいする神の愛を正しく評価するようにさせました。また、あなたがたが神のことばを愛するようにさせました。刷新の初期には、あなたがたカリスマ派はいつもバイブルを、新約聖書を持ち歩くと、よく言われたものです。今日でも持参しているでしょうか。(群衆の中から「はい」という返事)もしそうでないなら、このような最初の愛に立ち戻って、いつでも神のみことばをポケットやかばんに入れて持ち運んでください! そしてそこからちょっと読んで、いつでも神のことばを手元に保持してください。
 あなたがた、神の民、カリスマ刷新の方々は、聖霊がお与えになった自由を見失わないように注意深くあらねばなりません! 刷新にとっての危険は、あなたがたのご存知のラニエロ・カンタラメッサ神父がよく言っているように、余りにも組織化されてしまうということ、つまり、過度の計画性の危険です。
 もちろん、組織は必要ですが、神を神たらしめる恵みを決して喪失してはなりません。
「しかし、聖霊の導きに身をゆだねること以上に大きな自由はないのです。いっさいの計算と管理をやめて、聖霊に照らされ、導かれ、方向づけられ、聖霊の望まれるところへ駆り立てられるのです。すべての時代と、あらゆる瞬間において、何が必要であるかを、聖霊はご存知です。これを、神秘的な実りというのです」(『福音の喜び』280)。
 もう一つの危険は、神の恵みの調停者になってしまうことです。多くの機会に、グループや共同体のリーダーたち(私は「奉仕者」という名称のほうを好みます)は、ことによると意図しないままに、恵みの「マネージャー」になってしまい、霊の注ぎや満たしの祈りを誰が受けうるか、誰が受けられないかを決めたりします。あなたがたの中の誰かがこのようなことをしているなら、私はあなたがたに止めるように求めます。二度とそうしないように! あなたがたは聖霊のための料金所のように行動してはなりません。
◆あなたがたには、マリン文書の中に、よき手引き、あなたがたが道に迷うことのないように、頼りになる指針があります。第一の文書は「神学および司牧の上での方向付け」であり、第二は「エキュメニズムとカリスマ刷新」で、第二バチカン公会議の傑出した人物であったスーネンス枢機卿によって執筆されました。そして第三の文書は「カリスマ刷新と社会活動」であり、これはスーネンス枢機卿とヘルダ・カマラ司教によって書かれました。
 これが、あなたがたの指針です。すなわち、霊的エキュメニズムと、貧しく、援助を必要とする人々へのケアと、主流から排斥された人々を歓迎することです。そしてそのいずれもが礼拝に基づいています! 刷新の基礎は神への礼拝なのです。
◆教皇があなたがたに何を期待しているかを、あなたがたに話すようにと、私は求められました。
 その第一は、私たちの生涯を変化させ、おのおののキリスト者を神の家の証し人とさせるイエスの愛への回心であります。教会は私たちからこのようなキリスト者の生活の証しを期待しており、聖霊は私たちが福音を、聖性における自分自身の成長のために、十分に、かつ一貫して生きることを助けてくださるのです。
 私はあなたがたに、教会の中のだれとでも、聖霊の満たしという恵みを分かち合うことを期待しています。
 私はまた、あなたがたに、神のことばを用いて福音宣教することを期待します。これは、イエスが生きておられ、イエスはすべての男女を愛しておられることを告げ知らせるものです。また、イエスを主であり救い主として信じている、他の諸教会やキリスト教共同体のあらゆる兄弟姉妹に対して、霊的なエキュメニズムの証しをすることを期待します。
 主イエスが私たちにすべての人々に対して持つようにと求めておられる愛と、イエスの名による福音宣教にとって必要なこの一致の達成のために聖霊に向かって祈ることにおいて、一致のうちに留まることを期待します。「カリスマ刷新は事実、本性上エキュメニカルであり、・・・カトリックの刷新は、聖霊が他の諸教会において・・・なさっておられることを喜びとする」(第一のマリン文書5・3)ことを想い起こしましょう。
 貧しい人々や助けを必要としている人々に寄り添いなさい。そのようにして彼らの肉身において、イエスの傷ついた肉身に触れるためです。どうか、彼らに近寄ってください。
 刷新における一致を求めなさい。なぜなら一致は聖霊に由来し、三位一体の一体性から生まれるからです。誰が分裂の源なのでしょうか。悪魔です! 分裂は悪魔から生じます。どうかあらゆる内輪もめから身を遠ざけてください。あなたがたの間に、このようなものが何も存在しませんように!
 兄弟姉妹の皆さん、あなたがたの神である主を礼拝することを、思い起こしましょう。神を礼拝すること、これこそが根本的なことです! 聖霊の新たないのちにおける聖性を求めましょう。神の恵みを分配する者となってください。過剰な組織化という危険を避けてください。
 街中に出かけていって、福音宣教してください。福音を告げ知らせてください。教会があの五旬祭の朝に「あわただしさの中で」誕生したことを思い出しましょう。貧しい人々に近寄って、彼らの肉身においてイエスの傷ついた肉身に触れてください。あなたがた自身が聖霊によって、自由のうちに導かれるようにしてください。そしてどうか、聖霊をかごの中に閉じ込めませんように! 自由であってください!
 刷新における一致、三位一体から生ずる一致を求めてください!
 そして、あなたがた、世界中のカリスマ的な人々の全員が、2017年の聖霊降臨祭に聖ペトロの広場で皆さんの50周年を教皇と一緒に祝うことを楽しみにてしています。皆さん、ありがとう!

英語原文のリンク先

「生ける水」2014年夏季号(No.113)から転載。

2014年06月01日